http://d.hatena.ne.jp/haruna26/20110216/1297867931
を見ながら「いやいやデジタルネイティブだから」とか思ったけども。今となって自分も若いつもりでいたけど86世代とかでてきて82年生まれの私は結構年なんだなと思ったりしたこの頃。いわゆるアラサーですもんね。
小学生の時にファミコンが出て中学生でスーパーファミコンが出てFF4,5,6やって、気がついたらプレイステーションが出ててた。中学生の時にジャンプでドラゴンボールのセル編やってて、アニメドラゴンボールも水曜日にやってたな。
X-JAPANやLUNASEAとかビジュアル系ブームがあって、一方ではMR.BIGとかの洋楽が流行ってポールギルバートかっけーといって速弾きの練習して音楽をやって気がついたら音楽を作るようになってて、自分の音楽サイトをつくって配信しようとサイトを作った。1999年だった。
まだインターネットはテレホタイムが主流で夜の23時から朝までインターネットで遊んでた。今となればもしかしたらGMOの全身なのかもしれないがインターQという怪しいプロバイダっぽいものを利用していたのを覚えてる。いまもあるのかな?懐かしいな。
Wiki:テレホーダイ
http://members.interq.or.jp/
サイト制作といえばもうジオシティで作るというのがなんか主流だったのをおぼえてる。tok2ネット(とくとくネット)とかいろんな怪しいサービスがあったな。当時のサイト制作はもっぱらIBMの「ホームページビルダー」だった。おかたい会社でホームページビルダーを未だに使っているのを見るとなんか懐かしさを感じます。
http://tok2.com/
http://www-06.ibm.com/software/jp/internet/hpb/
サイト制作の掲示板はもうほとんどがKENT CGIです!KENTといってもあのタバコのKENTではありませんとサイトに明記していたのはなんか未だに覚えてる。KENT CGIというのは今もあるのかな?掲示板。BBSと言われてたけど、このBBSのperlプログラムを無料で配布していたのがこのKENT WEBだった。
今もあるみたいだね。
このKENTさんのプログラムをみてPerlプログラムを覚えた人ってぼくの世代に多いんじゃないかなって思う。
まだPHPというものはバージョンが1とか2だったな。Pythonの存在はあったんだろうけどぼくは知らなかった。RubyもPerlの兄弟だろ、位の認識しかなかった。Rubyで動くTwitter、Pythonで動くYoutube、Perlで動くMovabletype、PHPで動くWordpress 時代は進化するものだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Perl
http://ja.wikipedia.org/wiki/Python
http://ja.wikipedia.org/wiki/PHP:_Hypertext_Preprocessor
http://ja.wikipedia.org/wiki/Ruby
高校生の時だったかな、音楽サイトを軸にPerlプログラムを覚えこれを大学で深めようと思ったけど、今となれば情報工学やコンピュータ工学を覚えればよかったと思うんだろうけれどもインターネットを仕事にするには経営学が必要だと畑違いの大学で学んだ。2000年くらいだったな。
このころからだ。インターネットというものがだんだん世の中で一般的になってきで場所によってはADSLのサービスも始まりブロードバンドという言葉も出始めた。それと同時に多くの人が自宅サーバというものを立て始めLinuxに深く出会うことになったんだと思う。ぼくはそうだった。
当時のLinuxといえばTurbo LinuxとRedhat Linuxの2つの選択しかなかったのをぼくは覚えてる。本当はもっとたくさん選択肢があったんだろうけど。CDつきのLinux雑誌ってのがこの時すごいたくさん発売されてて「OSが無料で本についてくる!すげー」って単純に思っていた頃だったな。今ではisoファイルやvmwareイメージを落とせばいいだけなのにね。
http://www.turbolinux.com/
http://www.jp.redhat.com/
2001年といえばグランドゼロ(911)の時だ。このころからだんだんコンピュータを一人一台ではなく2台3台ともつような時代になってきたのを覚えてる。その時に本当に不便だったのがブラウザのブックマークだ。複数のコンピュータでブックマークを共有する必要が出てたんだ。この時にぼくもActiveXを使ってブックマークをオンライン上におけるような仕組みを作った覚えがある。結構便利だった。それをしっかりとビジネスとして進め成功したのが”はてな”ですね。あのころはみんな同じところ向いていたと思う。
ご存知だと思うけど、グランドゼロ(911)がきっかけでBLOGというものの有効性が世界的に広がり、SixapartのMovabletypのブログが一般的に認められたんだ。トラックバックやコメント機能なんかで同時多発テロの情報をみんなで共有したんだ。このblogがこんなに一般的になるなんて思いもよらなかったよ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Blog
http://www.sixapart.jp/
一人複数コンピュータ時代、911による情報共有。このころからいわゆるWEB2.0の動きが始まったのだとぼくは思ってる。ただ、このころはまだjavascriptはとんでもなく嫌われてたけどね。
2002年~2003年くらいからだと思う。アメリカではfriendsterとかsnsというものがすこしずつ盛り上がってたんだ。それに便乗してmixiというサービスが始まった。ぼくが招待状を受け取ったのは2004年となってる。ぼくのmixi IDは46550だから結構早いほうだと思う。
当時はこの招待制という仕組みがとんでもなく新しくて驚くくらいたくさんの友達を招待したのを覚えてる。ブログというものも少しずつ一般化してきてたんだけど日本人的に、「みんなに見せるのもなんか嫌だね」という人が招待した友達だけに見せられるmixiに飛びついたんだと思う。とにかく当時のmixiの衝撃は大きかった。グリーもmixiの対抗馬、いや、当時はグリーのほうがSNSとしては先だったんだ。今ではグリー=SNSのイメージは非常に薄い気もするよね。
http://mixi.jp/
http://gree.jp/
2003年、2004年くらいからメールの受け取りの仕組みも少しずつ変わってきてた気がする。昔はメールクライアントといえばもう完全にスタンドアロンのソフトでOutlook Expressとか、あ、業界人はみんなベッキーだったな。そんなメールクライアントを使うとそのコンピュータでしかメールが見れないんだよね。
今もスタンドアロンでメール受け取ってる人も多いと思うけど、そこで便利になってたのがヤフーメールだった。その頃まだgmailというものが世の中になかったと思う。ヤフーメールはどこにいてもどれだけたくさんコンピュータを持ってても同じメールを読めたし、もちろんコンピュータを新しくしてもメールを移行しなくても良かったんだ。当時ぼくはオーストラリアに留学してたんだけどヤフーメールのおかげでメールには本当に不自由しなかった。
http://promo.mail.yahoo.co.jp/
http://mail.google.com/
当時のgmailは招待制だったんだ。招待された人は20名だけ招待することができるという仕組みだった。招待すれば多少招待できる人が増えてた気がする。最近ではこの招待の仕組みなんか古くなってきちゃってるけど当時はmixiにしてもgmailにしても本当にこの招待制というものが多かった。
今思えば、ヤフーメールやgmailでメールが読める様になったことでスタンドアローンのメールクライアントが必要なくなった。同時にブラウザ上でのリッチアプリケーションに対する嫌悪というものを取り払ったんだと思う。当時はjavascriptに対する嫌悪感というものが根強くあったけれど、WEBメールに関しては全然Javascriptの嫌悪感がわかなかったの覚えてるよ。WEB2.0の動きはこのWEBメールの登場と普及で加速したんだとぼくは思う。
gmailの登場はGoogle社が2004年4月1日
http://ja.wikipedia.org/wiki/Gmail
梅田望夫によると、Web 2.0という用語そのものは2005年頃から用いられてきたが、2002~2003年にかけてのAmazon.comの検索API (Application Programming Interface) 公開が、その端緒であるとしている
忘れていたがぼくの音楽サイトもこのころはお名前.comでドメインを取得してレンタルサーバで運用していたよ。
その頃のぼくの音楽サイト
http://web.archive.org/web/20030409134435/http://www.kmusiclife.com/
2005年くらいからいわゆるWEB2.0の動きが本当に加速したと思う。ぼくはやる気ない生意気な大学院生だったな。WEBメールが一般的になり、ソーシャルブックマークが一般的になり、ブログが一般的になり、WEB APIというものが徐々に出始めWEB2.0へつながっていったのだと思う。
一方、このころnapstarやwinmxなどのP2Pのソフトの論争などが本当に多かったと思う。napstarを使えば簡単に音楽をダウンロードが出来る。winmxを使えばプレイカードのように音楽ファイルを交換ができる。違法性の高いmp3ファイルが本当にこのころは多く出始めた頃でもあったと思う。このころmp3に変換するということ自体が違法!みたいな変な認識あったのを覚えてる。iTunesの登場は無料でmp3の変換ができるソフトということで多くの人が使い始めたのだと思う。これがぼくの初めてのApple体験だったかもしれない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Napster
http://ja.wikipedia.org/wiki/WinMX
http://ja.wikipedia.org/wiki/ITunes
忘れがちなぼくの音楽配信サイト(2005年くらい)はmp3ファイルを直接ダウンロード出来るようにしていたと思う。「mp3を無料で公開しています。CDがほしい方は無料でお送りします。」とか言っていたと思う。今ではiTunesで販売しているものの、無料で公開していたときのほうがあたたかい手紙をもらったりしてソッチの方が結果としてよかったんじゃないかなって思います。
その頃のぼくの音楽サイト
http://web.archive.org/web/20050126051101/http://kmusiclife.com/
2005年、2006年くらいからWEB制作の形もすこしずつ変わってきてた。いわゆるテーブルによるHTMLコーディングからCSSコーディングにすこしずつ移行していたと思う。多分だけどCMSによる管理が一般的になってきててそれに合わせてCSSコーディングが非常にあったんだと思う。table組みでCMSコーディングはナンセンス。なんかそんな風潮は今でもあるけどこのころもあったと思う。
これから先の話はおそらく皆さんも多くが御存知なんではないかと思います。Googleがリスティング広告を出し、mixiが、はてなが、yahooが、amazonが日本のWEB業界のプレイヤーとなってポータルを目指したライブドアが壊れる。SEO/SEMというものがビジネス化しリスティング広告によってGoogleが肥大化し始める。amazonがようやくこのころ黒字を出し始めたよね。ツイッターもこのころから出始めてくるがはじめのうちはマニアのシロモノだった。
iPodが一般的になってきてiTunesが世の中に出まわり音楽をネットから音楽をダウンロードするという時代がやってきてそのプラットフォームをベースにiPhoneを出す。このiPhoneがGPSを搭載してたりして位置情報を使ったサービスが多く出始めてきた。Brightkiteやfoursquare, Twitterもそうだよね。
スマートフォン時代がやってきてiPhoneとAndroidが戦い合ってタブレットが出てきて。
気がつけばfacebookが世界一の企業になってmixiを使わなくなっててツイッターとfacebookがメインになってて検索・メールはgoogleで、お買い物はamazonになってて。技術的にはHTML5は出てきてすべてがオープンになる時代でサイトとサイトがAPIで繋がり認証はOAuthになり、技術によって人と人・サイトとサイトをつなげキュレーションと呼ばれるようになった。
こうやってぼくが見てきたインターネットの世界を振り返ると、インターネットというものがどのように進化するかという事そものもがぼくたちの興味の対象なんだなって思った。http(get/post)によって情報と情報をつなぎあわせ、今ではhttpによって人と人とをつなぐまでになった。twitterで会った友達もfacebookで会った友達もhttpの力によって出会えたんだと思う。
そしてこの駄文を読んでくれているあなたとも今、httpを介して出会えた。
インターネットに感謝しなくちゃな。ありがとう。これからもよろしく。
現在のぼくのサイト
http://www.kmusiclife.com/
http://www.youtube.com/kmusiclife/